本来は弱者を守るために作られた法制度が悪用されることなんてのは、今に始まったことでもないんだけど、「DV等支援措置」制度にも、悪用がなされていたと裁判所が判決を下した。
どんな制度にしても、網の目をくぐることある、ということだ。
記事によればこういったケースはまれに起きるのではなく、「後を絶たない」ほど多いらしい。
また、この記事の中では
DVの話を警察官が鵜呑みにした結果、不当にDV加害者と認定され子どもに会えなくなってしまったと夫側は主張、妻と県に損害賠償を求めた。名古屋地裁は夫の主張を認め、妻と県に55万円の賠償を命じる判決を下した。
と書かれている。
今回、一方的に【加害者】と認定されてしまった夫は、訴訟を起こしてその勝訴によってそれが不当な認定だったと明らかにできたが、現行制度ではいわゆる【加害者】に不当にでっち上げられ、泣き寝入りするケースも多いことだろう。
不当な加害者がでっち上げられた原因として見えてくるのはまず、
一つには自分を被害者に仕立てて制度を不正活用したい、【偽の被害者】があり、
もう一つには、警察をはじめ相談を受ける機関がきちんと調査しないシステムにも問題があったといえよう。
また裁判中も
県側も「県警の認定に問題はなかった」と反論していた。
とあるように、県は自称【被害者】の話だけ聞いて鵜呑みにしても過失は一切認めない姿勢だったのに対し、裁判所の判断はこうだ。
県警の対応についても「虚偽DVが社会問題化している以上、制度の目的外使用の可能性も念頭に、妻の説明の不審点や疑問点を確認する義務があった」と指摘。「現在もDVの危険があるかどうかは客観的な時系列や事実関係から判断できる。しかし今回、県警は事実確認を一切行わなかった」と過失を認定した。
繰り返しになるが、事情確認を一切行わなかったにもかかわらず、警察も県も過失はなかったと主張し、裁判所によってようやく過失があったと認められた形だ。
これが何を意味するのか
裁判にならなければ(なっていても)、警察も県も「被害者」の話だけを鵜呑みにして法制度を適用しても構わないという考え方である。ということではないだろうか。
つまり、裁判で徹底的に争わない限り【偽の被害者】の勝ち、ということになってしまうのだ。
本訴訟にあたった裁判長が女性であった点にも注目できると思う。
根拠なく自らを【偽の被害者】にし、夫を【加害者】に仕立てたのは妻であり、当然これは女性であるが、保護を得るべき弱者を守る制度を悪用したこの女性に対しきちんとジャッジを下したことには爽やかさと潔さを感じずにはいられない。
しかしながら、先の記事にはこれによって警察の対応が根本から変わるわけではないだろうとの見通しも示されている。
確かに、この判決は最高裁ではなく地裁の判決であることもあるが、警察や相談機関はある意味においては弱者の最後の砦であり、訴訟と損害賠償が怖くて今度は逆に相談者に対して過度の疑心を持つべきではない、と私も思う。
例えば冤罪被害事件があったからといって、その後起きた事件の捜査に刑事課職員が甘さを加えないのと同じ原理である。
警察も市役所も相談支援センターも、全て生身の人間が判断を下している。
当然そこには目の前の相談者のみの話を鵜呑みにして早々と仕事を処理しようとする担当者もいれば、真摯に対応する職員もいることだろう。
かといって、警察や役所のカウンターの前で当事者双方を呼んで調停できるものでもない。
自分の利を通すためには平気で嘘をつく者も多く、口喧嘩では〈口が上手い方・泣いた方・気の強い側〉が勝つという自然の原理に倣う形となってしまうだろう。
貧困ビジネスにもなっている生活保護に関する裁定も根底にある原因は同じかもしれない。申請者の表面だけを見、うわべの話だけを聞いても公平な仕事ができないこともある。
裁判所でさえ冤罪が出るぐらいだから、やはり時代劇に出てくるような【名奉行】の裁定を期待するというわけにはいかないのか。
救済システムは、本当に必要な方のためだけに適用されるように願いたいものである。